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唐獅子 メメント・モリ

 テレビのアニメ番組を見ていたらそのときに使用された都市を一瞬にして破壊する強力なレーザ砲の武器の名前が「メメント・モリ」。あまり聞きなれれない言葉で「メメント・モリ」が気になったが、言葉の意味も調べることもなく番組が終わると記憶の中へ流していた。

 2021年の秋、古書店で「メメント・モリ」のタイトルの写真集に出会った。そこで調べた「メメント・モリ」はラテン語で「人は必ず死ぬということを心に留めておけ」または「死を想え」の意味でしたが、古代ローマ時代では「死を想え」の使い方はしてなくて、いつ死ぬかわからないので「今を楽しめ」の趣旨で使用されることが多かった。それがキリスト教の世界で違った意味を持つようになり魂の救済が重要しされ「死を想え」で使用されるようになったとあった。

 「メメント・モリ」を知って、考えたことは、自分にとって「死を想う」魂に限らず自然が無くなること、街が壊され失うことで記憶の中でしか見ることができなくなるものが全て「死」ではないのかと考えた。いつもそこに存在するものが無くなる喪失感はやはり「死」を感じさせるものと少し似ているのではないかと思った。

 2022年、仕事の撮影場所が那覇の真嘉比で現地合流した時のこと、真嘉比に行くのは久しぶりで、以前はよく行き来していたこともあり詳しく場所を聞いてなく、当日その場所にいくと新しい建物ができ道路も真っ直ぐきれいになり区画整備されて見違えるような街に自分の記憶の中の真嘉比と全く違うことに気づいて遅刻しかけた。そして昔の真嘉比はなくなってしまったのだと強く感じその時「メメント・モリ」の言葉が浮かんだ。

30年前の真嘉比は人が一人しか通れないような道や、曲がりくねった道を曲がると次はどこに出るのかなと、まるで迷路の道を歩く楽しさがあった。

開発が始まり住んでいる人々が次々と立ち退き、それと同じく家屋もなくなり寂しくなる街の様子を1990年代から2000年代までの間、最後まで残ると予想した高台にたつ建物の上からできるだけ全体が写るように撮り続けた。その時のフィルムはプリントすることもなく保存庫にいれたままになった。

開発が終わり真嘉比の街は時間の流れとともに新しい街へと生まれ変わったが、古い街並みは保存庫の中からよみがえり、私家写真集にして私の手元に記録と心の記憶に存在している。


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